東京大学での Unix の普及
東京大学での Unix の普及
清水 僕は飯沢さんの1年後輩、3期です。実は駒場時代は物理志望だったんですよ。コンピュータに触ったこともなかった。物理を専攻しようと考えていたんだけれど、最後の最後に情報科学に変更しました。なにかコンピュータには新しいことがあるような予感がしたんですね。最初に触ったコンピュータは、PDP-11互換の三井造船のミニコンでした。16ビットUNIXが載っていました。あの頃のUNIXはベル研究所が配布していてソースがほとんど読めて……シェルが550行くらいだったかな。それでUNIXのカーネルやコンパイラを知りました。UNIXが僕らの教科書だったんですね。なにせC言語の教科書だって翻訳はまだ1冊しかなかったんですから。
1977年 入学?
1979年 専攻(3年次)?
鎌田 僕は6期ですが、僕も三井造船のミニコンは触りました。当時はまだFORTRAN全盛で、大型計算機センターもパンチカードで入力していましたよね。カードが高いからなるべく短くプログラムを書くように工夫したりして……。
清水 ワークステーションが出てきたのは僕が修士の頃でした。VAX 11/780、VAX 11/730あたりが各研究室に入るようになりました。
1981年 修士1年次?
最初のVAXは VAX-11/780 であり、1977年10月25日にDECの株主会議で公開された
VAX 11/780 (Star) - TTL CPU, 1977年10月
VAX 11/730 (Nebula) - さらに小型化, さらに性能が低いビットスライス実装, 1982年4月
鎌田 ええ。みんなが使いたいから使わせてもらうのが大変(笑)。あっちの780、こっちの730と間借りしながらVAXでUNIXのプログラムを書いていました。
――飯沢さんが中央電子のワークステーションCEC8000にUNIXを移植したのはその頃ですよね?
1981年。世界に先駆けたマイクロプロセッサへの移植でした。
飯沢 UNIXの移植を世界でみんな競っていた時代です。CEC8000はメモリが64KBしかなくて、コードを1バイトたりともムダにしないようにと必死にやりました。それで、短く、早くコードを書くテクニックを覚えていったんです。
東京大学 理学部 情報科学科
情報科学科は情報科学研究施設を改組してその二部門を学科の講座に移し、昭和五十年四月一日に設立された。学部学生定員は教養学部の学生増募は行なわないとの本学の方針にしたがって、物理学科と数学科学部学生定員をそれぞれ十名と五名を移し、学部学生定員十五名で発足した。学年進行の計画にしたがって計算機実験学と情報検索基礎論の二講座が増設され、大学院理学系研究科情報科学専門課程の修士課程と博士課程が順次設置された。
1975/04/01
情報科学科の前身は昭和四十五年四月一日に設立された理学部附属情報科学研究施設である。当時は情報化社会の黎明期にあたり、情報学の研究と教育の重要性が強く認識され、国立大学では東京工業大学理学部に情報科学科、京都大学をはじめ工学部に情報工学科が次々と新設された時期である。本学では二部門の研究施設が設立された。施設長は故高橋秀俊教授(理学部物理学科)が併任し、情報基礎理論部門に後藤英一教授と國井利泰助教授が、数理言語学部門には山田尚勇教授と野崎昭弘助教授がそれぞれ就任した。
1970/04/01